足立醸造株式会社 

千ケ峰のふもと名水松ケ井の水が流れる山郷 兵庫奥播州多可の里―。
足立醸造はその地で明治二十二年より醤油と味噌を醸造しています。
創業より安心、安全な原材料を厳選し、添加物を極力 使わない昔ながらの製法で醤油、味噌をつくることをモットーとしています。

「流行のものをつくるのは苦手やけど、基本を忘れず、きまじめに、手間ひまをかけて安全でおいしい醤油と味噌を提供したい」

歴代の蔵主 たちは性格も生きた時代も違いますが、皆そう言って醸造という仕事に向き合ってきました。
足立醸造の基礎をつくった二代目 一重(いちじゅ う)の若かりし頃の写真です。

真ん中で黒帯を絞めているのが一重です。一重はまじめでなんでも一生懸命取り組む人でした。醤油を天秤棒で搾り終えて、蔵から出てきたら、明け方 になっていたことも珍しいことではありませんでした。当時、醤油を販売する容器はすべて一升樽で自転 車の後ろに三つほど積み、坂道を駆け上がっていました。ある日、八千代大屋村(現:多可町八千代区大屋)のお客様にお届けするはずの醤油が杉坂を 上がる途中に樽の栓が抜けてしまい、着いた頃にはからっぽになっていたというエピソードもあります。
 太平洋戦争前後は原料となる大豆や小麦がわずかしか 手に入らず、醤油も少ししか醸造できませんでした。しかし、醤油がないと沢山の人が困るのでわずかでも醸造し続けました。マルキ醤油醸造所(当時の店名) には長蛇の列ができたそうです。

昭和三十年代、地域でもいち早くバタコ(オート三輪)を購入し、醤油や酒の配達に活用していました。バタコのお蔭でより遠くまで、より早く配達が できる ようになり劇的に便利になったという話です。

高度経済成長期(大量生産、大量消費の時代)に突入し、醤油の需要も急激に増え、多くの醤油屋は作業の効率化を最優先しました。例えば、一番手の かかる醸造部分(原料の加工から麹づくり、そして熟成ま で)を協業醤油工場に委託する、木桶を捨てプラスチックやコンクリートでできた容器で熟成させる、手のかかる丸大豆をやめ脱脂加工大豆を原料とするなどな ど。時代の流れで、「醤油造りをやめた醤油屋」は効率化と大きな利益を生みましたがそれと引き換えに、醤油づくりの知識と受け継がれた技術を 失うことになり、醤油業界において後々大きな痛手となりました。

醤油造り本来の伝統を失うわけにはいかない!足立醸造は代々守られてきた木桶で醤油を一から造ることに誇りを持ち続けることを決意しました。

昭和五十四年、三代目 光也(みつや)は足立商店から足立醸造株式会社へと法人化しました。これからもっともっと醤油を醸していきたい、世に出し ていきたい。光也の想いから社名に醸造を入れることにしました。
明るく、温厚な人柄で人を惹きつける光也は地域の人々に足立醸造の醤油を知ってもらうために汗水たらして醤油造りに励みました。

そして昭和五十七年。当時「村おこし」ということが盛んに言われるようになり、足立醸造は後の大ヒット作、甘口しょうゆの「かけしょうゆ」を 発売することになります。光也は 梅田や神戸の百貨店へかけしょうゆとギフトセットを持ち、電車で片道二時間かけて一生懸命営業しました。今でも百貨店で取り扱っていただいて います。かけしょうゆは加美町(現:多可町加美区)の村おこし商品としてどんどん人気が出てきました。かけしょうゆは今でも地元に愛される人気商品の一つ です。

また光也は味噌の製造も始めます。味噌はも安全で良い原材料を使い、良質な味噌だけを造る製造方針でした。兵庫県産の大豆にこだわった「米 こうじみそ」「黒 大豆みそ」を開発しました。味噌は少しずつですが確実にお客様を増やしていきました。その後、県 下の学校給食会の味噌としても採用さ れ、原材料と品質にこだわった味噌は足立醸造の大きな柱の一つとして伸びていきました。

四代目 達明(たつあき:現社長)は若い頃から営業マンとして活発に動き、お客さんの声を聞き、時代の流れを読み、さらなる商品開 発に明け暮れました。
隣は今は亡き父、光也です。二人一緒に和歌山の蔵見学に行ったときの珍しいツーショットです。

達明は全て兵庫県産原料で仕込んだ「国産丸大豆醤油」、丹波篠山の黒大豆で仕込んだ贅沢な「黒大豆醤油」など 次々に発売していきました。

平成四年、現社長の達明は直営店を国道427号線沿いに移転しました。蔵元の高品質な醤油、味噌と地場の特産品が買える店として人気を呼び、 地元だけではなく、阪神間からもお客様が足を運んでくださるようになりました。
達明は美和子(達明の妻でもあり、直営店の店長)と二人三脚で毎晩遅くまで働き、四人の子どもたち(五代目たち)を育てながら、みんなから愛され る店舗作りを目指しました。

この頃から大量消費の時代から、食品の安心、安全を求める時代になってきます。

平成十四年、達明の熱い想いから有機醤油を造り始めました。いいものを造る絶対的な安心・安全の下においしいものを造る、そして当時まだ有機 JAS認定食品が認知されていない頃のお客様一人ひとりに一生懸命、心を込めて、おすすめしていきました。「国産有機醤油」は 有機農法の契約農家さん、全国の有機消費者団体さんか数多く応援していただきました。私どもだけでは造ることができなかった生産者から生活者までを一つの 線で結ぶ国産の有機醤油を造ることができたのです。

そして平成二十四年春、新蔵が大きく完成しました。亡き父光也が土地だけは以前から用意していてくれ、ようやくそこに三つの大屋根を持つ、 間三百キロリッターを製造する先祖代々の夢を乗せた新蔵が誕生しました。

 高さ四メートル、直径三メートルの大桶が七本並び、旧蔵から移転させた四十三本の木桶が整然と並ぶ蔵は弊社の一番自慢できる部分でもあります。

 海外で和食ブームがきっかけとなり、東京の商社さんからEUに輸出してみないかと要請があり、思い切ってやることにしました。出荷する醤油は全て 「オーガニック(有機)」です。日本の有機JASや海外のオーガニック認証を得た国内でも数少ない醤油でもあります。

足立醸造はこれからも地域の人々とともに支え合い、努力を惜しまず、誠実に前進することを誓います。